2016年6月18日土曜日

人の生き方と哀れ

最近、ツクヅクと感じる。人の哀れさだ。一方、自分では生死を決められ無い場合が多い。自殺すれば良いのかもしれないが、簡単では無い。

自分かて、気楽自由に生きている訳では無いが、90歳を過ぎて、脳梗塞で右手の自由を拘束され、言葉をほとんど失い。それでも生きなければならない。
最近でも、時々手を合わせて、・・・と言うが、言葉に出なく、泣いているのか。
かろうじて朝夕の食事の支度はしなくても良いが、認知症はさらに進行してきた、、

先週の事、診療所にて認知度試験を看護人さんが行うと、野菜の名前は三つも言えない、勿論・脳梗塞の後遺症があるから言葉は出ないので仕方が無いが。
時計の絵を描いてくださいと言われ紙に書こうとするも、たくさんの針のようには書くが、時計では無い。。三時半の時計の針も全く書けない。
さらに、特に最近は、便の臭いが毎日のように臭う。。「臭いね、」と言うと、かなり気にしているような、。自分では臭いも判らなくなってしまったようだ。。

長生きすれば良いと云うものでは無い。自分のことは全部出来なくては、と、つくづく。
ぽっくりと、逝ければ良いのだが。と、自分のことも。

0 件のコメント: